女子教育の先駆者に学ぶ、努力を継続することの大切さ
今回は、ちょっと辛口の格言を紹介。
「何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。」
2024年に新五千円札の顔になることが決まった津田梅子の言葉です。
彼女は、津田塾大学の創設者であり、日本の女子教育の先駆者のひとりだと言われています。
6歳
明治維新期の1871年、欧米視察に向かう岩倉使節団に、女子留学生5人が同行しました。
その中の最年少が、当時6歳だった梅子です。
13歳
彼女はアメリカで初等教育を受け、13歳になると私立女学校に進学。
ラテン語やフランス語、英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学びました。
18歳
長い留学生活を経て18歳で帰国したときには、日本語があまり話せなくなっていたのだそう。
アメリカで自由な教育を受けた梅子にとって、「女性は年頃になれば結婚するのが当然」という、古い日本の慣習は我慢ならないもの。
彼女は、教養ある女性が活躍できない日本社会に怒ると同時に、社会的地位の低さを当たり前に受け入れている、同世代の日本人女性にも苛立っていました。
その頃の梅子が、アメリカで母親代わりだった女性に送った手紙にはこう記されています。
「私が死ぬことによって、日本の娘たちを向上させることができるのなら、死んでも良い」。
このとき、梅子の胸にあったのは、「すべての女性が、平等に教育を受けられるようにしたい」という情熱。
35歳
いくつかの女学校で教えた後、35歳で、津田塾大学の前身である女子英学塾を設立します。
54歳
54歳で体調を崩して塾長を辞任するまで、華族と平民の区別なく女子を受け入れる独自の教育方針を貫きました。
壁にぶつかりながらも、「日本の娘たちを向上させたい」という夢に向かい、挑戦し続けた梅子の生涯。
成功するには努力の継続が必要なのだと、身をもって教えてくれています。
※新千円札は、「近代日本医学の父」として知られる北里柴三郎、新一万円札は、「近代日本経済の父」として知られる渋沢栄一が選ばれました。
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